好き嫌い?
私は自分が言えないからか
好き嫌いをはっきり言う人ってすごいなって思ってたんです。
だけど、実際自分がそうなりたいかって考えたときに
嫌いという言葉・・・どれほど必要性があるのかって疑問を感じたんです。

最近すごくショックな出来事があり
自分を見失ってました。
こんなに自分の存在を呪ったのは初めてかもしれません。

ネットは本当に色んな人がいてすごいたくさんの刺激をくれますね。
正直あそこまで凹むと言うか落ち込むと言うか
そんな簡単な言葉では表せないくらいの気持ちを味わえるのもネットならではの気がします。

今までネットで色んな人に出会って5年以上が経ちました。
そこで色んな人と関わって私は自分でも驚くほど心が広くなったと思うんです。
ちょっとしたことじゃ短気に怒れない。
ネットには色んな人がいると知って、誰かが何かをしたとしても気にならないと言うか
ちょっとしたことくらいは良いよ良いよと言ってくれる人たちが周りにいたから
そういう心に慣れてたんだと思うんです。

最近・・・嫌いと言う言葉を良く聞きます。
誰かが誰かのちょっとした態度に嫌いと言っていたり
好みの問題でも、好き嫌いとはっきり言える人たち。
理由は様々あるとは思うんですが、それでも腹を立て怒りを表す態度や
何かに対してすぐ嫌い嫌いと言える人は見てて怖いんです。
なぜ怖いかって、何が原因でその人の不快感に触れるかわからないから。
もちろん、その理由がその人にとっては重大なことだからなのかもしれませんが
あまりに簡単に使われてしまうと、その重大さが良くわかりません。
自分が使わない言葉だけに、必要以上に重く感じてしまうんです。

私が嫌いと言う言葉を使わないのは嫌われた人の心の痛みを知っているから。
小学生の頃・・・些細なことでいじめられてる人いましたよね。
ちょっとしたことが原因だったのに
それから何をしてもみんなに良く思われなくて嫌われ続けていた生徒。
たったひとりが気に入らないことがあっただけだったのに
噂が噂を呼んで、事実以上に悪いイメージがついて・・・。

そういう経験をしてる人って
誰かに嫌われることが怖いんです。
『誰か』 が 『みんな』 に変わるのがそう遠くない話だと思って怖いんです。

私は・・・いじめられていた子をかばって同じようにされたことがあります。
そういう経験をしてしまうと人の心ってすごく繊細になってしまうんですよね。
いじめられていた子は何も悪くないのに
みんなが面白がっていじめているだけなのに
いじめられた子は・・・自分に非があると思い込んで
自分を嫌いになるんです。
もちろん、そのいじめられている子にも非があるかもしれません。
だけど、あまりにその扱いは酷過ぎですよね。
非があるからってそこまでされたら、何が非になるか分からなくて怖くなってしまいます。

私は一緒に遊ぼうよと言ってくれる友達の存在に救われて
自分の心を取り戻すことができました。
だけど、世の中たくさんの人がそういう行為を受け苦しみを味わったことがあるはず。
自分がそうじゃなくても、そのいじめられた子を見て見ぬ振りをした人たちは
自分が同じ目に合いたくないと思ったから
その苦しみの大きさを想像したから何もできなかった、ですよね。
どんなにつらいか、想像しただけでも分かるくらいひどいことなんです。

良いことを良い、悪いことを悪いと言える心は勇気のある心です。
ですが、悪いことを嫌いだとすぐ言う心・・・それはどうなんでしょう。
たったひとつの気に入らないことがその人すべてをダメだと決め付けてしまえるんでしょうか。

どんな人でも、ダメだと思い始めたら悪いところしか見えなくなります。
何をしていても悪く見られちゃうんです。
違う人が同じことをしていても、違うとられ方をしてしまいます。
見る人の心が違うだけなのに。

ダメな部分がある。それならまだ直そうとも思えるけれども
『嫌い』 と言われては・・・何と言うかその嫌っている人から離れたくなりますね。
人格を否定されちゃってはどうしようもないですから。
できることは、嫌われている人に不快感を与えないためにそばにいないこと。
そんな風に考えたくなってしまいます。
そのくらい私にとって 『嫌い』 と言う言葉は特別なものに感じてるんです。
理由が分かってて分かり合えそうなら話をしてみますが
人は何が気に入るか、何が気に入らないか分からないですからね。

私はだから、どんな人でも良いところを見ていたい。
理想だと思います。嫌な人だっているだろうと言われるかもしれません。
確かに気になるところのある人はたくさんいますが
それでも嫌うほどの思いを抱き続けられないんです。
そう思っている自分に苦しくなるから。
自分がそういう思いをさせていることが苦しいから。
嫌われてその人を感じたくないくらい苦しくなるとかならありますけどね。
自分がこんなだから、他の人もこうだろうと思ってしまうところがいけないところみたいです。

食べ物だって同じですよね。
食卓に並んだものに、食べられないものがあったとき
それを嫌いだと言いますか?好きじゃないと言いますか?
苦手でも食べる人、苦手で平気で残す人イロイロだと思います。
私は食べられる範囲ならどんなものでも食べてしまいます。
確かに美味しくないなとは思いますが、作ってくれたものを残す
その行為のほうが好きではないから。
ちょっとした考え方や言い方で周りの方へ与える影響って変わりますよね。

私が嫌いと思わなくて済んだのは
そういう思いを抱く人が周りにいなかったから。
嫌いと言う言葉も慣れだなぁって思ったんです。
すごく気軽に使われていて・・・自分にふっとそんな気持ちが生まれるのが怖くなります。
使っている人たちにしたら深い意味はないのかもしれません。
でも、使われる人たちからしたら・・・。

色んな人に出会っていくと
その集まりごとの空気を感じることができます。
その集まりの中では普通のことが
外部からふっと入ってきた人にはすごく抵抗があることもたくさんあります。

誰がどんな心境で受け取るか分からないだけに
言葉や態度は慎重にならなければならないのは分かりますが
慎重になりすぎては自由に楽しむことができなくなってしまいます。
相手がどんな気持ちで発した言葉かなんて本当のところはわからないのですから
気に入らないことに出会ったときには、
それを嫌うではなく、ダメだと注意できる心を持ちたいですね。


人には好みと言うものがあるだけに
すべての人に好かれようと思うのが間違いなのかもしれません。
私が誰にでも良いところを見つけて好きだと思うのとは別に
相手の方がどんな気持ちで人を見ているかは分からないですもんね。

人の心はちょっとしたことにも敏感に対応して変化してしまいます。
その時々、自分の周りの人の心を見ていける人でいたいですね。

そして、誰かに嫌われたからといつまでも凹んでいるのではなくて
今の自分を好きだと言ってくれる人の気持ちを大事にしていけたらなと思います。
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by sakura-smile | 2006-02-14 00:38 | 櫻の語りまくり
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